So-net無料ブログ作成
« 前の1件  |  -

デアゴスティーニの64号はゼロ戦21型岩本徹三機

 ブログの更新もままならぬまま時は過ぎ、あっという間にデアゴスティーニの64号が出ていたので紹介を。
issue_64_1.jpg
はい、出ましたゼロ戦、7機め^^

第64号は岩本徹三機。戦争を戦い抜いた古強者。

 デアゴスティーニの64号はデアゴスティーニの10機に1機を占める零戦です(笑)。何回出てくるんでしょうかねぇ。まぁ、坂井三郎氏が出てくれば、岩本徹三氏も出てきてもおかしくはないのですが・・・・。 
Cap20459.jpg

 支那事変から太平洋戦争終結まで闘いぬいた古強者。
岩本 徹三(いわもと てつぞう、1916年6月14日 - 1955年5月20日)は、日本海軍の軍人。支那事変、太平洋戦争における撃墜王。最終階級は海軍中尉


 1934年呉海兵団に航空兵として入団。当時から射撃の成績が抜群であった岩本航空兵は、1937年に支那事変に参加しました。この頃に日本軍最多撃墜の14機を公認されています。
 太平洋戦争では、空母「瑞鶴」戦闘機隊所属で、真珠湾攻撃に参加します。しかし、直接の攻撃には参加せず上空直営の任務に就いていました。
 その後はインド洋海戦→珊瑚海海戦→ラバウル方面へと戦い続けます。1944年にはトラック島撤退に伴い、253空に異動。激戦を繰り返しながら撃墜数を重ねていきます。
 その後、252空に異動、台湾沖航空戦、フィリピン沖海戦にも参加し、最後は203空にて関東地区の迎撃戦に参加。そこで終戦を迎えます。こうしてみると、各線地を渡り歩きながら生き延びているのですごいですよね。

Cap 4.jpg

 ただ、そんな歴戦の勇士も戦後は、北海道の開拓先で体調を崩し、1955年、戦後の復興の最中にあっけなく、この世を去ることになりました。享年38歳でした。

 
岩本徹三の撃墜数は、自己申告の202機の他、戦後調べでは80機とする文献もあります。日本海軍では1942年以降は、個人撃墜数は記録していないので正式な数は不明なのです。
 実際のところはどうだったのか知りたいとことですね。岩本徹三、西沢広義、坂井三郎、杉田庄一、菅野直などなどのエースたちは、練度の高い米軍のパイロット相手でしたから、ドイツのエースたちと較べても、決して見劣りするものではなかったと思います。

発売は7月10日


<今日の成田>
 成田ではないのですが、先日の日曜日に霞ヶ浦に仕事で行ってきました。
kasumigaura.jpg
 海なし県(栃木)に住んでいるとこういう光景に憧れます。霞ヶ浦は海じゃないんですけどね(笑)帰りは宇都宮に帰らず、明日からの仕事の成田へ向かいます。
 なので、帰り道の予科練平和記念館へ。
予科練平和記念館.jpg
今日は日曜日なので、零戦21型(レプリカ)がハンガーから出て駐機しています。
zero21_01.jpg
なので、撮りたかったアングルや詳細な写真を
zero.jpg
zero21.jpg
マニアックな撮り方ですね(笑)


こんな記事もどうぞ

来たよ(8)  コメント(1)  [編集]
共通テーマ:趣味・カルチャー
« 前の1件  |  -
Copyright © 1/144ヒコーキ工房 All Rights Reserved.
一眼レフの特徴