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孤独の天才エース、ハンス・ヨアヒム・マルセイユについて〜その1

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ハンス・ヨアヒム・マルセイユの乗機「黄の14」Bf109F(151機撃墜時)

 以前、ハセガワの1/48スケール「撃墜王 蒼空の7人」に登場するエースについて、その愛機の紹介と共に記事をアップしてきましたが、「撃墜王」をあげるなら忘れてはいけないのがこの人だと思います。

 ハンス・ヨアヒム・マルセイユ.jpg
Hans-Joachim "Jochen" Walter Rudolf Siegfried Marseille


 ”アフリカの星”
と呼ばれた、ハンス・ヨアヒム・マルセイユです(
ハンス・ヨアヒム・ヴァルター・ルドルフ・ジークフリート・マルセイユ 1919年12月13日 - 1942年9月30日 享年23歳)。
 彼は、フランス人の末裔の家系ですが、見事なゲルマン系の顔立ちのイケメン。まるで映画のスター俳優のようです。実際
、戦意高揚のためにつくられた彼のブロマイドは飛ぶように売れたとか・・・。ですよねぇ(^^; 

 さて、今回は、ドイツのエースでは158機撃墜で、第30位の序列とそれほど高くはないにしても(それでも、他国に比べれば圧倒的な撃墜数ですが)、西部戦線での撃墜記録ではナンバー1を誇るマルセイユについてのお話を。

 
●軍規違反の常習犯、部隊の鼻つまみ者が超エースに目覚めるまで


 マルセイユは、1919年ベルリン生まれ。18歳でドイツ空軍へ入隊し、士官候補生として訓練を受け、戦闘飛行学校へ配属されます。この頃からしょっちゅう軍紀違反を起こすヤンチャな性格だったようですが、成績は優秀で、上官からも高い評価を受けています。
 

Cap 1,058.jpg 彼の最初の撃墜は”英国上空の戦いの”バトル・オブ・ブリテン”でした。最初の空中戦で初撃墜をするのですが、この初戦果を喜びではなく、敵機の若者の母親の心痛を思い、悲しんでいることを母親への手紙で伝えています。反抗的な性格ではありましたが、心根が優しい青年であったようです。

 しかし戦争というリアルな現実は、相手のことを思う気持ちの余裕など与えてはくれません。2度めの空戦の際には早くも2機目を撃墜し、9月18日には5機を撃墜するという驚異的早さで彼はエースになります(当時は5機撃墜でエースの称号がもらえる)。

Cap 216.jpg と、ここまでは順調に見えるのですが、バトル・オブ・ブリテンでは撃墜スコア7機の代償として6回の撃墜という、芳しくない成績でした。9月23日の被弾の際には、ドーバ海峡で何時間も漂流し救助されてから基地に戻るのですが、彼を待っていたのは、中隊長を見捨てて戦死させたとする仲間たちからの糾弾でした。彼は味方の編隊から離れて敵機を深追いしすぎる傾向があったのです。
 今までの度重なる軍規違反と、反抗的な性格、仲間たちとの不調和もあり、所属の航空団を放逐されることになりました。
 次に彼は後に最強のルフトバッフェとして有名になるJG52に配属されるのですが、ここでも同じように協調性のなさから上官のヨハネス・シュタインホフ(178機のエース)から転属を命ぜられます。彼はその端正な顔立ちに加え、洗練されたベルリンっ子として女性たちの注目の的となり、遊びすぎてパイロットに必要な休息をとらなかったようです・・・。

 
●撃墜されつつも体得した彼独自の空戦術

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 軍規違反のプレイボーイが最後に辿り着いたのは、1941年の北アフリカ戦線のJG27でした(右図がJG27のエンブレム)。
 この時も、
相変わらずの掟破りで、アフリカ入りする時も愛犬を機内に入れて連れてきています。そのために、高度を飛ぶと犬用の酸素マスクがないので、編隊から離れて低空を単独飛行して赴任するという無茶ぶり。
 彼は一応、エースではありましたが、撃墜も度々され、機体もよく壊すという、平凡な成績の一人でした。
 北アフリカでもフランス軍のエースパイロットのデニズ少尉に1ヶ月で2回撃墜されるという滅多にない不名誉な成績も残しています。同じ人に2回撃墜されるなんて日本では考えられませんね。
 しかし、1942年6月に候補生から准尉に昇格する頃には「空戦のコツ」がようやく分かったと同僚に語っており、今までの経験がいよいよ開花し始めてきます。

 偉大なエースたちに多いケースとして、最初のうちは、スロースタートで飛行時間を増やすだけで、また撃ち落とされてもいますが、そこで、運良く生き延びて、ある時を境に急激に何かに目覚め、うなぎのぼりに撃墜数をあげるということがあります。
 マルセイユにもそれが当てはまりますが、彼が普通のパイロットたちと違うことは、彼が独自の戦法に固執していたことが上げられます。

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 彼の戦法は、空戦のセオリー通りに「真後ろから撃つ」という射撃をとらず、敵の戦隊に大胆に突っ込み、混乱させてから敵の旋回運動の先を見越して射撃をするという方法でした。
 これは「偏差射撃」という高等テクニックで、照準器に頼ることなく、相手の運動コースを予測して、その前方に撃つという高度な技術なのです。一度習得してしまえば、敵機を撃墜する機会が格段にあがることになります。
 しかし、彼がこの独自の必殺技を編み出すまで、敵機の銃弾の火だるまになることもしばしばで、彼の乗機は修理が不可能になるくらい被弾することもありました。
 上写真は被弾した跡を確かめているマルセイユ。この頃の機体はBf109Eですね。無茶してます。
 しかし、仲間からの忠告や批判をよそにマルセイユの戦法の効果は1942年の初めから確実に現れ始めます。2月8日にはトータル40機、22日には50機撃墜を果たし騎士鉄十字章を受章するのです。

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尾翼に50機目のマークをいれてもらってるマルセイユ



Bf109の隠れた可能性を引き出した操縦技術

 彼の操縦技術はBf109に乗っているパイロットたちの誰もが行ったことのないものでした。通常の戦闘では運動エネルギーが落ちる空戦ではフルスロットルがセオリーなのですが、彼は逆にスロットルを絞りに絞り込んで速度を失速寸前まで落とし、旋回半径を短くして敵機に近づくとう戦術をとります。偏差射撃を行う場合は、自分の速度をできるだけ押さえた方が当てやすいというのもあると思われます。そして、ワンチャンスの刹那の時間に射撃を行い、今度はスロットル全開で次の獲物に飛びかかるのです。

Cap 1,054.jpg

 
 Bf109は、高速で一撃離脱戦法に特化した戦闘機と言われていますが、実は、主翼前縁に自動スラットが装備されており、使い方次第では
意外と空戦性能にも長けていた戦闘機であったのです。
 この前縁スラットは失速しそうになったり、
負圧を検知すると、バタンと自動で飛び出してきて、揚力を稼ぐ構造になっています。これが出るとパイロットたちは「ああ、失速寸前なのだ」と気づくわけですが、着陸時と違い、空戦時にそこまで機体を追いやることもないので、パイロットたちのなかには、無用の長物だと思っていた人たちもいたようです。
 しかし、マルセイユは、これを空戦で有効的に使います。失速寸前まで機体を追いやり、(時には主脚を下ろしてまで)短い旋回で機首を敵機に向け、何もない空中に銃弾を放つ。すると、コンマ数秒後に敵機がそこへ飛び込んできて被弾するという離れ業を行うのです。

 マルセイユは常識であった空中戦の基本的なルールをすべて覆してしまったのです。僚機は必死にマルセイユに追従し、戦果の確認を行うのが仕事でした。


「Bf109ではなく零戦を与えてたら」というIFへの疑問

 よく格闘戦に優れた零戦をマルセイユが操縦したらもっとすごい成果につながったのではないかという架空の話も持ち上がりますが、私はこれにはちょっと疑問なのです。

マルセイユ零戦.jpg マルセイユは偏差射撃を行うため相手の機動を読むために自分の機体をできる限り速度を落とす必要があったと思われますが、その反面、敵機からも撃墜しやすいというリスクを負うことになります。
 そのため、射撃を行うと同時に即座にフルスロットルで射撃位置から加速離脱しなければなりません。そのためには高速一撃離脱の利点をフル活用する必要があると思うのです。
 ですので、やはり加速性に優れたBf109が最適な機体であったかと思います。また、何度も撃墜されていたマルセイユの帰還を考えると防弾設備のない零戦はかなりハイリスクであったと思われます。
  
→(参考)もしもバトル・オブ・ブリテンに零戦が投入されていたら


異常なまでの才能の開花。そして国民的スターの誕生

 1942年6月3日には単機で16機のP-40の編隊に突っ込み、6機を撃墜します。そのなかにはなんと5機以上撃墜の腕を誇る連合軍エースが3人も含まれていました。

 たった一機の敵機により、3人ものエースパイロットを撃墜された連合軍の驚愕やいかにといったところです

 マルセイユの成績は100機撃墜を記録しているのですが、この頃にはソ連侵攻作戦も行われ、ドイツ空軍の中では序列11番目にすぎませんでした。
 しかし
練度の低いソ連空軍相手より、強敵である西部戦線での成果ということで、ドイツ本国のゲッペルス宣伝相は、戦意高揚のシンボルとしてマルセイユを持ち上げます。元々美男子ですから効果は抜群。本国の女性たちや子どもたちの間で大人気となりました。
 最初に紹介したマルセイユの写真もこの時のブロマイドのようですね。

Cap 1,057.jpg
なんど見てもイケメンです。

大人気ですね。


 しかし、多くの女性たちにモテたマルセイユには、実はすでに婚約者のハンネさんという女性がいたのです。残念でした。

Cap 1,056.jpg


 彼女とのプライベートの時間も楽しみ、2ヶ月の休養をもらって8月に英気を養って戻ってきたマルセイユは、更に驚異的な成績を残します。

 1日に3回出撃して17機撃墜、翌日にはさらに5機撃墜と、22歳にして最年少の大尉に昇格が決定します。この17機の敵機撃墜には10分間で8機撃墜という記録も含まれています。


栄光と悲劇。徐々に蝕まれていく繊細な青年

 そして1942年の9月は、1ヶ月の間に54機を撃墜という、彼が最も多くの撃墜を重ねた月となりました。

 
しかし、その輝かしい栄光とは裏腹に、9月はマルセイユにとって不幸の月でもありました。この月は、戦友を立て続けに2人失い、マルセイユは、誰の目が見ても明らかなストレス障害にかかります。彼の反抗的な性格は、ある意味、繊細で神経質な性格をもあらわしてたのです。
 
 
9月26日の戦闘では15分に及ぶスピットファイアとの戦闘を終えて疲労困憊した彼の姿が伝えられています。マルセイユ自身も度重なる空中戦にかかるGで、その疲労は誰の目にも明らかでした。
 約10倍以上もの航空勢力の前に、北アフリカのドイツ空軍は守勢になっていき、より過酷な戦況にマルセイユの心も次第に蝕まれていきます。

→続きます。

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→本日はバトル・オブ・ブリテンの日です。

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コメント 3

johncomeback

短編小説を読んでいるようでした。
次回が楽しみです(^^)ニコ
by johncomeback (2015-03-06 14:41) 

楽しく生きよう

Bf109は防弾装備佳いのでしょうか。
by 楽しく生きよう (2015-03-06 17:36) 

ワンモア

★by johncomeback さま
ありがとうございます。間もなく完結編アップします。

★ 楽しく生きよう さま
生存率は高かったようですね。初期の頃の被弾は7.7mm銃が多かったというのもあるようですが。
ハルトマンやバルクホルンなどの名高いエースも複数回撃墜されていますが、防弾装備のおかげで致命傷にならずに済んでいます。
by ワンモア (2015-03-06 18:14) 

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