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航空史上不朽の傑作機、DC-3とC-47〜その1

 たまには旅客機や輸送機の話でも。
 軍用機の主役といえば、戦闘機、爆撃機、攻撃機という感じですが、偵察機や輸送機など、戦場の裏方ともいうべき軍用機たちの存在も忘れてはいけないものです。
 軍用輸送機とは、文字通り、物資を輸送とすることを目的とした飛行機。戦場で必要な弾薬、武器、食料、兵員などを速やかに届けることを任務とします。
 今回は、民間から軍用まで大活躍したダグラスDC-3についてです。

DC-3.jpg
今回はダグラスDC-3について


◆不朽の名作機ダグラスDC-3

 飛行機が生まれて十年足らずで起きた第一次世界大戦。人類にとっては今まで経験したことのない、大規模で悲惨な経験でしたが、この間に飛行機は大きく進歩を遂げます。
 戦争が進歩させた航空技術は、戦後すぐに民間旅客機として大きく貢献することになります。とはいえ、まだまだプロペラ機の時代。
北米大陸横断航空路には、ほとんど一昼夜を要しています。この高速化・効率化を狙い、航空各社の競争はアメリカを中心に熾烈なものとなっていきました。
 
 アメリカン航空がダグラス社にオーダー注文した機体は、DC-2より大きな寝台旅客機でした。
この当時、旅行で流行していたのは、ブルマン・スタイルと言われた寝台列車です。

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上に跳ね上げれば普通車になる寝台車スタイル


 ブルマン・スタイル列車とは、当時の劣悪な夜行列車を快適なものに大幅に改良したスタイルで、親の代から家具製造をしていたブルマンは、カーペットやカーテン、布張りの椅子や図書館、食堂車など斬新なアイデアを次々に列車に取り入れていました。
 このような豪華な客車を航空会社も取り入れたいとの要望で再設計されたのです。ブルマン式寝台、日本では確かA寝台と言われていたんでしたっけ。

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うーんクラシック。今もあったら乗ってみたいですね(^^)


 開発は急ピッチで行われ、僅か半年後の1935年の12月には初飛行に成功、1936年には竣工して
います。この機体はDST
(Douglas Sleeper Transportの略)と呼ばれます。なんといっても14名分の寝台とキッチンも備え、途中一度だけの燃料補給のみで北米大陸を横断できるのですから、あっという間にアメリカン航空の看板旅客機となります。

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アメリカン航空のDC-3

 このDSTの派生型としてすぐに改良したのが、通常座席型のDC-3です。21名の乗客(後には32名まで増員もできたタイプも)。
 この機体の優れた所は、何よりも収納能力と飛行特性の安定さにあると言われています。DC-2の定員の五割ましながら、運行経費はわずか3%増に過ぎなかったので、航空会社にとってみれば、正に夢のような機体です。またDC-2から引き継いだエンジンの着脱のしやすさ、整備の容易さなども特筆ものであり、当時における正に「理想の旅客機」といえるものでした。

 1936年の半ばに竣工したこの機体もまたたく間に当時のベストセラー機になり、アメリカン航空だけでなく、当時の一流の航空会社がこぞって採用となり、1939年までに600機以上が生産されました。

 
◆実は日本でも作られていたDC-3(零式輸送機)

 さて、1930年代後半になってくると、各国は次の戦争に備えて軍備を強化し始めます。各国同士の疑心暗鬼の不安と憎しみの連鎖はまだ終わらないのです。
 アメリカ陸軍も既存のDC-3を140機あまりも徴用して軍用機として用いていましたが、日本も国内で使われていたDC-3に目をつけて軍用輸送機として用いようと画策します。
 この時、既に日米では、きな臭い雰囲気が起きていましたので軍用転用の目的ではアメリカ政府も警戒していたのです。
 日本海軍は三井物産に製造ライセンスを取得するように影で手を回し、1937年に昭和飛行機工業に委ねノックダウン方式で製造することに成功します。
 ノックダウン方式とは、主な部品は他国から輸入し、これを現地で組み立てることですが、後には、完全に国内生産化されるようになります。 
 これが、零式輸送機(L2D2)で1940年、零式艦上戦闘機と同じ年に正式採用されました。

Showa_L2D.jpg
日の丸に違和感を感じない機体ですね。


 この時に、本国のアメリカがヤード・ポンドなどのインチ単位の設計図だったので、メートル法が定着済みの日本ではかなり苦労したそうで。
 これ今もネジとかの規格とかそうだから、アメリカの航空機を国内で改良する時に、ISOのメートルねじが使えなくて、かなり苦労するんですよね(;^ω^)
 当時の苦労が偲ばれます。そういう理由からか、オリジナルのDC-3と昭和飛行機で生産された機体とでは、随所で部品の寸法が違うそうです。
 エンジンも三菱製の金星エンジンに変更され、終戦までに486機が製造されました。

 さてアメリカと日本が戦争を始めると、このDC-3は敵味方に分かれて従事することになります。まったく同じ機体だと、味方から誤認される恐れもあったかもしれませんね。

C-47_in_flight_ca._1943.jpg


◆戦争に従事したDC-3(C-47)

 アメリカも正式に軍用輸送機として採用し、正式名称をC-47とします。愛称は「スカイトレイン」。生産数は輸送機という目的の機体なのになんと1万機以上。アメリカの国力の凄さを物語っていますね。
 アメリカ海軍ではR4D、イギリス空軍では「ダコタ」という名で運用されています。
乗客の乗降扉に代わって貨物扉を取り付け、武装兵28名か、3トン近い貨物を搭載できました。兵員輸送型はC-53スカイトルーパーとも呼ばれ、各タイプとも輸送以外に探索、捜索救難、偵察、地上掃射、グライダー曳航、傷兵輸送など様々な裏方の任務に従事することになります。 

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 ノルマンディー上陸作戦後は、C-47も敵味方識別用の有名な白黒のストライプ模様(インヴェーション ストライプ)を付けました。それは、輸送機とはいえ、銃火の飛び交う戦地を飛び回る危険な任務に従事している証でもありました。


 
大戦当初から終戦まで、連合国が行く所、必ずやこのC-47が輸送任務で飛び回っているほどで、
連合軍欧州総司令官であり、のちにアメリカ合衆国大統領となったドワイト・D・アイゼンハワーは「第二次世界大戦の連合軍勝利に著しく寄与したのはダコタ(C-47の愛称)とジープとバズーカ砲である」というコメントを残しているくらいです。

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どこへ行くにもいつもお世話になるC-47

 

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こうして日米のDC-3を作れるなんて平和な時代になったものです。


 さて、次回は第二次世界大戦後も活躍したC-47と、民間に戻ったDC-3の話で続けていきたいと思います。→続くです。


<関連記事>
日本では実話に基づいたこの機体の映画化もされています。

→英軍機救った佐渡の実話映画化「飛べ!ダコタ」好調


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コメント 4

bpd1teikichi_satoh

ダグラスDC-3(C-47)生産数が凄く多いのだと思います。
爺の好きな飛行機ですね。
by bpd1teikichi_satoh (2016-11-15 10:45) 

tsumi

ブルマン・スタイル列車の内装って素敵ですね!寒くなるこの季節、なんだか乗りたくなる雰囲気です^^
by tsumi (2016-11-15 12:16) 

caveruna

この映画見てみたいっす♪
by caveruna (2016-11-15 14:34) 

ワンモア

★bpd1teikichi_satoh さま
 私もこのヒコーキ大好きです(^o^)

★tsumiさま
 今では逆にオシャレですよね。

★caverunaさま
 余り知られていない映画ですが、こういう映画もマスコミはもっと取り上げて欲しいなと思うのです。

by ワンモア (2016-11-17 10:01) 

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