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平家落人伝説の里。落人伝説の謎に迫る〜その4最終回

 ふとした疑問で色々と調べていた湯西川温泉一帯に残る「平家落人伝説」。調べていくうちにだんだん深みにハマり全部で4回もの記事になってしまいました。ヒコーキの内容はどこいった?と言われかねませんので、今回で一旦最終回とさせていただきます(;^ω^)

平家の里.jpg

 ◆旧栗山村に伝わる「平家落人伝説」


 伝説の内容と、ある程度判明したことを、もう一度整理すると、 

・逃げ延びた平の落人の主役は、平貞能平忠実(または忠房)平高房ら。
宇都宮朝綱が匿ったキーマン。
・最初に隠れていた場所
(鶏頂山説と釈迦が丘説と相違がある)で、五月の節句ののぼり(男子の出産祝い)がきっかけとなり敵に見つかり更に逃走。
・川俣、湯西川に分散し、ここを定住の地とし、財宝などを隠す。
・この地では、見つからないよう、鯉のぼりをあげない、鶏を飼わないなどの風習が続いている。
・源平争乱から約400年後の
1549年に温泉と財宝が見つかる(その間の歴史は不明)
・高房神社、温泉、平家の塚、財宝の一部発見はこの伝説を裏付ける場所である。
 このうち、判明したことは
 →平貞能の落人は事実だが、その後の詳細は大体判明されている(益子の安善寺)。
 →平忠実が落ち武者になって潜伏したのも事実だが別の場所での話で、
  その後、鎌倉方により処刑されている。この落ち武者生活が湯西川伝説の元になった?
 →平高房に至っては架空の人物で、その存在も疑われている。藤原高房→平高房?

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平家の武将、平知盛

 ということで、
はっきりと特定の平家の武将の名前は出てきませんでした。
 更には、平家落人伝説は、捏造の疑いがあるものも多く、木地師集団がそれに関わっているとも。それは伝説の起源が安土桃山時代あたりから始まっている。木工に長けている名産がある。伝説の元となる話があるなどで推察されるとのこと。
 湯西川平家の落人伝説を紐解くと、400年の期間が空白となっていますし、地元には木杓子などの品もあります。この点、柳田国男氏の捏造・偽造説とも一致する可能性も・・・。
 しかし、ここ下野国は平貞能を筆頭に、平家方の落人たちが落ち延びてきた可能性も高いと言われているのも事実。平貞能という平家のVIPが匿ってもらえるなら自分たちも匿ってもらえるという算段もあったのでしょうか。
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五十里湖。湯西川は更にこの先

 また、お隣の那須一族はそのほとんどが平家方についていました(昔は家を守るために保険として両方の勢力に分かれて親兄弟で戦うことも)。ですので、平家方についた兄弟たちが各地へ逃亡した事実も残されています。ですので、平家ではなくて平家方についた各地の武将たちがこの地に逃亡した可能性はあるでしょう。
 さらに
鯉のぼりをあげないとか、鶏を飼わないなど妙にリアルな話も残っているのも事実。落人伝説は本当なのかもしれないと思わせるものもあります。

 さて、以上の話を踏まえて核心に迫りたいと思います。それは、ずばり落人伝説とそっくりな話が地元では残っているのです。

釜八幡神社に伝わる「釜八幡伝説」とは

 湯西川の「水の郷」の目の前にある「釜八幡神社」。ここにこのような伝説の説明書きが立てられていました。状態からすると最近のようです。

Cap 231.jpg

 内容ですが要約すると、「昔、源義家は、奥州の豪族、安倍貞任、宗任を征伐し、残党を追ってこの地に来る。
 義家は、残党が潜んでいるならば、ここらの人の住む里に潜んでいるに違いないとし、奇襲をかける(奇襲のきっかけはこの立札には記載されておらず)。
 義家の奇襲により反撃の機会を失った安倍の残党たちは戦うすべもなくあえなく降参。
 義家に武士を捨て農民としてこの地に生きることで命を助けてもらう。
 この時に、感謝の証としてありあわせの雑穀で飯を炊き義家に献上した。この時の釜を後に平和の守り神、氏神として祭祀した。この氏神は釜を祀ることから釜八幡宮と呼び、子孫の繁栄を祈願して末永く信仰している。」

 源義家
(1039〜1106)といえば 源平の合戦をさかのぼること、約百近く前、前九年の役、後三年の役で有名な武将です。
 この説明書き、あえて記載されていませんが、ここに記載されている方のサイト、「山口久吉の話」で調べてみると更に詳細な内容が現れてきます。
 そこには、奇襲のきっかけが生まれたのは、義家が鶏頂山(平家落人伝説にも登場する山)から、男子誕生の祝いののぼり旗と朝一番に鳴く鶏の声で居場所を発見できたと書かれています。
 そう、なんと平家落人伝説とまったく同じ内容なのです。

源義家.jpg
『後三年合戦絵詞』の源義家


 うわぁ、平家の滅亡の100年ほど前に落人伝説とまったく同じ話が。平家ではなく安倍の落人の伝説があるとは・・・。
 追討方も同じ源氏方というのも何か共通点ですね。
ちなみにこの神社に奉納されている釜は取っ手が内側についていて野戦鍋ともいうべく異形の形状をしており、全国でも珍しいとも。 そういえば、この鍋も「平家の落人が愛用していた鍋である」という話をみたような。

安倍貞任.jpg

 さて、山口氏がこの安部落ち武者伝説が事実に近いと考えるのは、この地に残る「湯殿山講中代参帳」の姓の記録で安倍の姓が多くあることからも伺えるそうで。
「釜を氏神として信仰を守り続ける川戸平集落、伝説と共に、湯殿山講中 代参帳に安倍の姓の記載の多い事も事実である。」と記載されています。
 阿部、安部などの姓も多く、これは落人を嫌って改めたのではないかと推測されています。
 なーんか、平家は良くて安倍は嫌なんて、ちょっと理不尽に思いますが、安倍はマイナーな東北の豪族で、平家はメジャーで貴族ですからね(;^ω^) 。そこら辺も関係しているのかも。そういえば伴という名前も青森には多いのですよね。
 この地では、五月五日が奇襲を受けた日なので、節句の祝いを一日遅れの六日に行うようになり、又 のぼり旗も立てないし、鶏の鳴き声で隠れ所を突き止められた事から、鶏も飼わず、昔は 卵も食べなかったと伝えられています。

栗山村の文化財 現状調査資料 
発行 平成4年3月31日 栗山村文化財保護審議会 調べ

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伝説の核心に近づいたような・・・


更に詳しく解説されています。
→釜八幡伝説
→湯西川温泉川戸平の釜八幡神社とネズコ大木

 山口氏は、冒頭で、「古文書は歴史の証人」であり、「伝説は歴史ではない」として、観光用の歴史が一人歩きをしていることに深い懸念を表しています。
 「湯西川に残された古文書の内容が消え去ることがあってはならない。」「先祖と子孫を偽る事は、たとえ商業の為とはいえ、現在の私達を許してくれるのだろうか」とも。

 この説明書きを見ると、そのせめぎ合いのギリギリの妥協点を見出した苦心が伺えるようです。あえて湯西川平家落人伝説とかぶらないようにしてはいるけど、この話をちょっと調べると事実に気づくという感じですね。まるで推理小説のようなスリリングさが味わえます。

 調べていくうちに、「うーん、ここまでたどりついたかぁ」という感じです。今まで調べた平貞能や、妙雲尼のことも記録しており、その後の余生のことも概ね合っていたました。
 実際の所、平家方の落人たちが、この湯西川村に来て、新規で集落を開拓したという訳ではなく、安倍一族の落人たちの村を見つけて合流し、そのまま住み着いたかもしれませんね。

湯西川集落.jpg
お米を作ることもできず、住める場所もわずかしないこの一帯では、
色々な人々が流れ着いてきたのかもしれません。


◆由緒ある家系図はこうして作られる。

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 さて、もう一つの歴史として、家系図の話を。
 都から有力な貴族や守護大名などが見回りや移動する際には、今ほど宿屋はありませんので、通りががった村々の有力者などの家に泊まることになります。その村で一番大きい家でもてなしもちゃんとしてくれそうな所ですね。

 この時に、その家に年頃の娘さんがいれば正にチャンス到来♪。娘を夜の伽に出して、子供ができれば、後で便りを出して認知してもらい、男子であれば、貴族や名家の血を引く家柄ということで格が上がることになります。

 父親として認知しても特にデメリットもなく、子供ができた方の家では忘れられると困るのでせっせと贈り物を送ります。正に両者にとってWinWinの関係に。
 万が一、騒乱で地方に逃げたり、兵の召集の際にも協力が期待できますので、メリットの方が大きいといえるでしょう。

家系図.jpg

 家系図ですが、正式な結婚で生まれた訳ではないので、貴族などの家には家系図として載ることは殆どありませんが、子供が生まれた有力者の家では、それ以前の男系が消えてしまい、その貴族の家系図が男系として書き換えられていたようです。

 また、そういうことがない場合でも、家系図を作る系図師たちの存在もいました。
 豪商などの成金さんがお金が貯まってくると次に欲しくなるのは名声・・・。こっそり系図師を家に呼んで、何日か泊まり込んでもらい家系図を作ってもらいます。「源氏につなげてとか、有名な武将の系図にして」とかの注文も。
 そして「我家はあの有名な◯◯の子孫である」ということで吹聴できるのです。
周囲もそんなに探索しませんし、地元の有力者には面と向かって逆らえませんので「おぉ、そうなのか」と認知されるようになるという訳ですね(;^ω^) まあ、言ったもん勝ちなところもありますね。
 また仕官する際にも、そこそこの家系図だと優位になるということもありますので、うまく捏造することも多かったようです。

 こう考えると、ちょっと「歴史とはなんかのか」考えさせられますね(;^ω^) 。
 また物語や伝承も、語り継がれていく内に変化していくものですし、なんかこの湯西川の落人伝説をみていると、変節の瞬間に今、立ち会っているような気がします。

◆湯西川のその後の歴史

 山口氏によると、その後の湯西川(というか栗山郷全体)の歴史も紹介されています。こういうひとつの地域について調べたサイトっていいなぁと思います。殆どが初めて知る内容でとても勉強になります。

 実は、縄文式土器も出土されているので、天然の温泉を発見した古代の日本人たちも暮らしていたんでしょうね。

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狩人村に竪穴式住居が建てられていたのは意味があった!

 しかし、記録としては、中世以前の記録がないとのこと。周辺の記録などで照らし合わせていくと、戦国時代に村が焼亡したそうです。単なる「焼失」ではなく、「焼亡」なので、一つの村が焼け滅んだというショッキングな内容が。
 どうも1590年の秀吉の小田原城攻めの際に北条氏に加担した日光山衆徒に対し、秀吉の怒りをかったようです。日光はこの時、滅亡状態となるので、その流れでここ一帯も焼け滅んだ可能性があるとのこと。自称平家の子孫たちはどうしたんでしょうか。

 もしかすると、秀吉に敵対していた勢力もここに逃げ込んだ可能性がありますね。どれだけ、奥地で隠れやすい地域なんでしょうな。流石、関東の秘境と言われるだけあります。

 そういえば、湯西川温泉の伝説でも平家がこの地に流れてきてから、400年間の間の話が一切ないんですよね。あと、発掘されたと言われている平家ゆかりの武具なども気になります。今度行った時はそこら辺を詳しく調べてみようかなと。

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人が住んでいる場所がわずか5%足らずの栗山郷

 ここはその後も様々な領主が支配していて複雑な歴史を作り出しているようです。


◆伝説は伝説、でも栗山郷はそれでも魅力が沢山

狩人村.jpg


 さて、色々と調べてみた結果をまとめて、個人的に勝手に想像させてもらうと・・・。


 今から約950年も昔のこと。ここ栗山(湯西川)の地まで落ち延びてきた安部一族の残党は、のぼり旗や鶏の鳴き声により、潜伏していた里を発見され、
源義家らの軍勢の奇襲により為す術もなく降参(実際に義家がいたかどうかは不問)。武器を捨て、農で住むことを誓い、命を許された恩義に報いるため、使用した釜を神社に奉じてひっそりと暮らしていた。過去の苦い記憶も反省として忘れずに。その神社は平和の象徴として人々の信仰の中心地となった。
 それから約100年。今度は平家方が追いやられてきた。敗残の兵の中には一族郎党を引き連れてきた者たちも(平家の一族なのか、平家方についた武将たちなのかは不問)。
「なんだぁ、お前たちも源氏にやられて落ち延びてきたのか。実は俺らのじいちゃんたちも源氏方に追いやられてここへ来たんだぁ。まあ、温泉にでも使って疲れを癒やしてけ。」
 やがて鎌倉の世になり、敗残兵たちは平家の復興を諦め、この地に武具などを埋め、集落にいる人々と共に力を併せてこの栗山村一帯に住み着くことを決意した。
 やがて、時代は過ぎ、戦国の騒乱にも巻き込まれ、やがて文書なども焼失したり、子孫たちも四散することもあり、落人の先祖たちの話はやがて曖昧な伝承へと変容していった。

 こんな感じなのかなぁと思います(^^)
 まあ、後は江戸時代に入り、温泉宿場が出来き、外来者も増えてきて、平家物語などが世に知られていことで、先祖の口承伝説を色々膨らませて、商業ベースに平家落人伝説を拡げていったのかなぁと。 

 しかし、それでも、この湯西川一帯には、幾重にも歴史が重なりあって出来た伝説が残されている魅力ある場所だと思うのです。
 
歴史の表舞台から消えても、古文書の家系図からその名が消えても、名が残らなくても彼らは人として逞しく生活していたのですから。そう考えるとロマンも感じますね。

 全4回にも渡る地元の歴史。数々の伝承を調べて勉強になりました。そして私も他県から来た余所者ではありますが、この地に一層の愛着が出てきたことも事実です。今後もふらりと寄った場所を調べてみたいなと思います。
 かなり長くなりましたが、お付き合いくださいまして、ありがとうございました(^^)

 湯西川温泉はイベントが盛んです(^^)歴史のさわりに触れるだけでも、歴史に興味を持つきっかけになると思います。

→とちぎ旅ネット(湯西川温泉 かまくら祭)

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コメント 6

ちょいのり

系図師の存在で有耶無耶のうちに繋がりが都合よく変わり
同じような出来事が100年前にありそれになぞらえてしまった。
本当の歴史って何でしょうかねw

どんだけ落人レアスポット何でしょう奥鬼怒w
敗者ホイホイな土地柄なのかー^^;

またいつか湯西川にはかまくらの灯が灯る季節に再訪したいと思います^^
勿論歴史を吟味しながら闊歩したいですね☆


by ちょいのり (2016-12-10 01:51) 

ワンモア

★ちょいのりさま
 こんばんは~(^^)、敗者ホイホイな土地柄、良いですね(笑)。
潜伏するにはもってこいの場所?
 ここは縄文時代から住んでいた形跡もあるので、ワクワクするのです。私は東北の血筋なので、逆に前九年の役、後三年の役の源義家や安倍一族の話が出てくるとムッハーと興奮してしまうのですが、なんで平家一色で塗りつぶしてしまうのかなぁヾ(ーー )残念ですよね。
 
by ワンモア (2016-12-10 02:11) 

hana2016

こんにちは。
私が初めて湯西川を訪ねたのは、40年近く前。今とは違い、あの頃の湯西川は本当に山奥。本当の秘境でした。
現在の様な観光地としての収入もない、日本人なら米・・・である米作にも適さない不毛な土地。
貧しさゆえ食べるしかなかった蕎麦、湯西川に伝わる名物、栃の実を手間暇かけて作る栃餅。
郷土料理のひとつ、うるち米を 使った餅を野菜の具材と鯖缶で仕上げた・・ばんだい餅など。
厳しい寒さと不便さの中、生き抜いて来た人々を、改めて思う内容でした。
しかし、実際湯西川地区に住む人々だって、ここまで知らないであろう…濃くて、深い史実。
旅館「平の高房」では過去に入浴、架空の人物名を記するだけあって?最悪の接客でした(^^;
湯西川ダム建設で沈んだ集落の住民が、移転してニュータウンとなった川戸集落。あの小さな鎮守が、釜八幡神社なのですね。
家を守るために保険として、両方の勢力に分かれて親兄弟で戦う・・・現在放送中の「真田丸」がまさにそうです。。
by hana2016 (2016-12-10 14:28) 

ワンモア

hana2016さま
こんにちは〜貴重な情報をありがとうございます。
やたら綺麗なニュータウンの川戸集落・・立派で綺麗な家が多くなったなぁと不思議に思っていたのですが、そうか、ダムで移転した方々の家だったのですね。これは初耳でした。
旧栗山村はツボにハマってしまい、しばらくは栃木で一番気になる地域になりそうです(^^)

by ワンモア (2016-12-10 14:55) 

johncomeback

今日も興味深く拝読させていただきました。
源義家が出てきましたか、伝説って調べると
面白いですね、でも大変でしたでしょう?
by johncomeback (2016-12-10 18:56) 

ワンモア

johncomebackさま
こんばんは〜コメントありがとうございます。
源義家が好きなので、出てきた時は驚きとちょっとうれしく思いました。調べるのは大変でしたが、かなり面白かったです(笑)。ただ、あんまりやると地元の人に夢を壊すなと言われそうでほどほどに・・・(;^ω^) 。また現地に行きたくなりました(^^)
by ワンモア (2016-12-10 19:01) 

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