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零戦の誕生。堀越二郎の挑戦その4

 
Cap 419.jpg 

「風立ちぬ」の主人公である堀越二郎氏の手がけた飛行機たちを調べましたので連続で投稿していきたいと思います。今回はその4。いよいよ零式艦上戦闘機に入ります。

 とはいってもあまりにも有名な飛行機ですので、膨大な情報と詳しく解説している優秀なサイトが沢山ありますので、ここではかなり端折った記事を。

 堀越二郎氏の設計は、七試艦戦→九試単戦→九六式艦戦という流れで、大きな成功を収めます。その九六式艦戦も、1937年12月に九六式艦戦の4号が完成することで一応の区切りがつきました。1932年の七試艦戦の着手から5年。28歳の若さで設計主任となった二郎もすでに33歳となっていました。

(1938年の車内での堀越二郎)ウィキペディアJiro_Horikoshi_193810.jpg

 そして、1937年(昭和12年)。いよいよ「十二試艦戦」の計画がスタートします。海軍の要求は相変わらずのムチャぶり。堀越二郎らが「ないものねだり」と嘆くほどの高いもので、ライバルの中島が「もう無理!」と途中で辞退するほどでした。

 それでも堀越二郎は九六式艦戦までの製作で得たノウハウで果敢に新型機に挑戦します。厳しい要求をクリアするために徹底した重量の軽減、空気抵抗の減少、安全性・操縦性の向上を特に重視します。更には新開発の翼型、定速式プロペラ、超々ジュラルミンESD、水滴型密閉風防、流線形落下増槽、20㎜機銃なども盛り込みます。沈頭鋲は引き続き使い、念願の引き込み脚も採用します。この引き込み脚は日本では九七式艦攻に続いて2番目の機体となりました。

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  特に重量軽減に関しては徹底的に行います。細部設計まで強度計算を行い、グラム単位で取り組んでいきます。よく飛行機の設計は「ひき算の設計」と言われるように、これでもかというぐらいに徹底的に重量を軽くします。余計な重量は即、性能低下に繋がるからです。空に上げる質量は軽いに越したことはありません。そのため、想定外の方向から外圧がかかると簡単に潰れるのも飛行機の特徴かもしれません。

 もうひとつの重要な設計方針は「翼面荷重の目標を105kg/m²以内」という思い切った低い値にしたことです。当時のイギリスのスピットファイアが160kg/m²、ドイツのBf109が170kg/m²ですからかなり低い数値を目標にしましたね。

 翼面荷重とは、翼の面積当たり、どれだけの重量を支えているかを示すものですので、翼面荷重が低いと格闘性能も上がる傾向にありますし、空母からの離陸にも優位です。フワッと上がりやすいし、旋回しやすい方向にあります。世界各国が高翼面荷重の重戦主義にいく流れの中で、空母の離着陸や格闘戦にこだわりを持つ日本はここを重視した訳です。

Cap 414.jpg ちなみに当時の戦闘機の戦い方はドックファイトと言われるもので、相手の機体の後ろに回りこんで機銃でダダダッと撃つ格闘戦が主流でした。 第一次世界大戦からの戦い方ですね。

 エンジンの性能や速度重視になってくると、一撃離脱方式が流行り始めます。これはドイツのメッサーシュミットBf109が得意とするところで、先に相手より上空のイニシアチブを取り、一気に急降下して撃ってそのまま急降下、離脱、上昇して次の攻撃への待機というスタイルです。

 ちなみにBf109は重戦闘機テイスト満載の高翼面荷重の代表ともいうべき戦闘機に思われがちですが、主翼前縁の引き出しスラットという装置があるので、低速・小旋回半径での戦闘もでき、スピットファイアやハリケーンよりも小回りが効いたそうで。意外と俊敏な戦闘機だったのですね。Cap 413.jpg

 

 さて、そんなこんなで、零戦の試作1号機は1939年3月には早くも完成し、同年4月に初飛行します。7月6日が「零戦の日」になっているのですが、これは、海軍での試験飛行が始まった日のようです。

→【7月6日】本日は零戦の日。実機が見られる博物館情報も。

 

 いつも悩まされる搭載エンジンですが、試作1号機と2号機には三菱製の瑞星一三型(離昇780hp)が搭載されました。はじめは、2枚プロペラを装備していましたが、試験中に発生したプロペラ振動の解決のため、途中で3翅プロペラに取り替えられます。

 試験は順調に進み、エンジンを栄一二型(離昇940hp)に換装した3号機以降も次々と海軍に納入されます。しかし、1940年3月に2号機が実験中に空中分解事故を起こし、パイロットが殉職します。直接の原因は昇降舵のフラッターと推測されますが、この事故は零戦の機体強度が設計で想定していたよりも低いことを露呈する出来事でした。

 それでも開発は進められ、1940年(昭和15年)7月についに正式採用され、いよいよ実戦配備となりました。

 初空戦は、早くも同年の9月13日に重慶上空で行われます。この零戦も九六式艦戦のデビューと同じ衝撃的な勝利で飾られます。日本側の記録ではI-15とI-16で構成された中華民国軍戦闘機27機を零戦13機が無損失で全機撃墜したという伝説的戦果を報じていますが、その脅威に軍事顧問であったシェンノートは本国に報告をしますが、「日本にそれほど優秀な戦闘機を作れる技術があるはずがない」としてほとんど相手にされなかったと言われています。

  そして戦争はついにアメリカと戦いへの決意へと進み、日本は無謀かつ悲惨な道へと歩み始めます。真珠湾攻撃を始めとした零戦の初期の大活躍は、高度に訓練されたパイロットたちのおかげもあり、国内外共に有名になっていきますが、アメリカの鹵獲した零戦の弱点の徹底的な研究により、弱点をさらけ出され、空戦に持ち込まない攻略方法や物量作戦、相次ぐ戦いで熟練操縦士たちの消耗と共に、苦しい戦いを強いられてきます。堀越二郎も零戦の改修に次ぐ改修に忙殺されることになります。

  零戦に関しては様々な解説がありますが、「1000馬力のエンジンを搭載した戦闘機を作れ」という課題の中では最高の戦闘機であったのではないでしょうか。

【零戦の各型の紹介】

 ちなみに零戦の21型とか52型とかの名称ですが、機体の開発順(外見の変化)に2桁目につけていきます。そしてエンジンの形式順に1桁目に付けます。 ですので零戦21型は、機体は2番目の開発、エンジンは1番目。零戦22型は、機体は2番目の開発のままで、エンジンが新しくなったことを表しています。 ちなみに42型は欠番となっています。(実際には製造されたとの話も)
Cap 416.jpg
零戦の各タイプはざっとこんな感じ。

11型〜64機製造。中国大陸で敵機全機撃墜という強烈なデビューを飾りました。
21型〜艦載用に翼端折れるようにして着艦フックをつけています。真珠湾攻撃で有名。
32型〜エンジンを栄12型から栄21型へパワーアップ!高速化のために翼端をカットしたかたちに。
22型〜栄21型になって減った航続距離を増やしたもの。翼も元に戻す。
52型〜翼の改設計して単排気管にしてスピードアップしたもの、機銃の搭載方法でで甲、乙、丙があります。

機体の改良は多くてもエンジンは1回しか変更していないことが分かりますね。他国の航空機エンジンの開発に比べ、苦労した後が見られます。

→零式艦上戦闘機の派生型

 零戦関係の本は沢山出ていますね。最近は映画「風立ちぬ」に合わせて堀越二郎氏のエピソードを盛り込んだ書籍が売れています。あと「永遠の0(ゼロ)」はすごい人気です。まだの方は是非。
 
 零戦以外に堀越二郎氏の手がけた飛行機の記事はこちら
★堀越二郎の挑戦。七試艦戦から烈風まで(全6回)

 

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コメント 4

Hide

子供の頃、飛行機と言えば?零戦。
あれっ〜隼かな?
by Hide (2013-08-09 22:49) 

onemore

Hideさま
こんばんは、隼も有名ですよね。私はどちらも大好きです。いずれ隼のことも記事にします。
by onemore (2013-08-09 23:01) 

楽しく生きよう

昔二次大戦の戦闘機のことを零戦と行って友達に笑われたのを思い出しました。
佳い飛行機ですね。
装甲を除けばですが。
by 楽しく生きよう (2013-08-10 18:39) 

onemore

楽しく生きようさま
コメ、ありがとうございます。防弾設備は要求がないと施さないのが昔のあり方だったようです。うーん。
by onemore (2013-08-11 09:15) 

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